77年の未発アルバム?〜デイヴ・ブロックの2018年のインタビュー

77年に収録された未発表音源があると言う話が本国のファンの間で噂になったことがあります。これは、デイヴ・ブロックが2018年にミュージシャン向け情報サイトmusicraderでのインタビューの際にコメントしています。音源はチェリー・レッドに版権があるようなんですが、それから数年経っており、リリースの話もありません。ファンがアトムヘンジの創設者マーク・パウエルの奥さん、ヴィッキーに質問したそうですが、返事がなかったそうです。そのコメント含めて、興味深い発言がありますので、翻訳したものを紹介します。とても興味深く、機材についても詳しく語っていますので、そちらは特集記事として、「デイヴ・ブロック使用機材について語る」に掲載しました。

DB:ギターを始めたきっかけは、ビッグ・ビル・ブルーンジー(米ブルーズSSW、クラプトンなど後世のアーティストに多大な影響)を聴いたことかな。本当に良いブルーズのレコードを集めてるよ。これらの人たちは皆、素晴らしいスタイルを持っていた。私はビッグ・ビル・ブルーンジーの演奏方法が好きだったので、彼を参考にしていました。誰でも最初は誰かの真似をしないと、自分のことができなくなるからね。私は彼に影響を受けたが、(ホークウインドが)別の活動をする多くの人々に影響を与えたかもしれないと考えると、とても嬉しいですね。

そのビッグ・ビル・ブルーンジーから、あなたはどうやってスペースロックに向かったのですか?

DB:(笑)それはね、以前W.M.ラーキンスのスタジオ(ロンドンにあった主にCM向けのアニメーションを制作していたスタジオ)でテレビ広告用のアニメを作っていました。そこでは、大きくて長いテープループを作って、それをぐるぐる回していました。そのテープにおかしな音をたくさん録音していて、私はギターの音を試してみました。そのうちのいくつかは、バークレイズ銀行のテレビコマーシャルに使われました。それが私のサイケデリアの始まりでした。

今回のツアーでは、45年ぶりにラウンドハウスで演奏しますね。1972年の「Greasy Truckers Party」を収録したあの夜のことで覚えていることは?

DB:私が覚えているのはあの時のおかしな出来事だけです…みんなでLSDをやったのですが(これは当時としては馬鹿げたことで、あの頃は小さな砂糖の塊を持って、それにサンドゥ(LSD-25)を少しだけ垂らしたものでした)使ったLSDは本当に強いアシッドでした。とてもじゃないけど続けられませんでした。当時のツアーマネージャーが『よし、今からやるぞ!』と言ったのですが、私たちは動けなかったので30分待ちました……30分経ってもまだ続けられなかった。愚かなことをしてたよ。若い頃にやっていたおバカなことの数々、あの頃いろんなことやれたよね。今はそんなにできません。年をとって賢くなっていくものだと思うよ。今はもうそんな時代ではないと思う。たぶんね(笑)

サイケデリック・ミュージック・シーンは、60年代後半にロンドンで本格化しました…

DB:そう。ラドブローク・グローヴには小さな場所がたくさんありました。そこでは誰もがアシッドをやってました、それが当時最新と言うことだった。それと “自分自身であること”。女の子たちは服を脱いで、裸で走り回ったり、トップレスで踊ったりしていました。表現の時代に自分を表現する(笑)。自由恋愛の時代」、それが当時の状況です。自由なお祭りのようなものでした。

DB:ホークウインド の前にザ・フェイマス・キュアーというバンドをやっていて、コヴェント・ガーデンの「ミドル・アース」というクラブで演奏していました。また、ダンタリアンズ・チャリオット(ズート・マネーやアンディ・サマーズがいたサイケバンド)という素晴らしいバンドと一緒にライブをしました。あそこで演奏していたバンドを見ると、素晴らしい場所だったと思います。「ミドル・アース」では、かつてサイケデリアが盛んに行われていました。みんなが飛び跳ね、自由に踊り、ストロボが光り、お香が焚かれていました。一晩中やっていた……楽しかったよ!

クラプトンや旧友について

DB:63年か64年くらいだったかな。かなり早い時期だよ。よく一緒に座ってギターを弾いていたよ。リッチモンドはとてもいいところだったから、よく遊びに行ったし、Eel Pie Islandに行って、コーヒーバーのL’Aubergeで会ったりもしたよ。エリックはサリー州のコブハムに住んでいて、そこからそんなに遠くない。そこにみんなが集まっていました。そこに座ってギターを弾いたり、お互いにギター交換したりしていました。リッチモンド・パークでは、サイダーを飲みながらマリファナを吸っていたな。

DB:後でジンジャー・ベイカーは、ホークウィンドと一緒に演奏することになったが、奇遇なことに、彼がクリームにいた頃、私がポートベロー・ロードでバスキングをしていたとき、彼はすぐ近くのアパートに住んでいて、私はバスキングが終わるとお茶を飲みに立ち寄っていたんだよ。

60年代のシーンには、デイヴィ・グレアム(英SSW、同時代のミュージシャンたちに多大な影響)のような面白いフォーク・ギタリストがいましたが…。

DB:ああ、デイヴィ・グレアムはよく知っていたよ。フォーククラブでいろいろな人と一緒に演奏したのが最初のきっかけです。デイヴィ・グレアム、素晴らしいギタリストだったよ。私たちはグリーク・ストリート(ロンドンのソーホー)にLes Cousinsというフォーククラブがあって、そこによく行っていました。本当に狭い場所で、部屋の隅の椅子にうずくまるように座る感じだった。

アルバム『Into The Woods』は、これまでのアルバムとは少し違った印象を受けますが…。

DB:うん、ちょっと違うかなと思ったよ。でも、その理由は、ハズ(ウィートン)という若いベーシストを迎えたからなんだ。彼はリチャード(チャドウィック)と僕に新しい命を与えてくれたよ。彼はある意味、レミーに似ていて、素晴らしい一体感を持っていて、これは非常に珍しいことです。彼が12歳のとき、私たちがブリストルO2アカデミーの楽屋から出てきとき、裏口に立って、ホークウインドのアルバムにサインしてもらうのを待っていたんです。大人になってから音楽大学に行ってベースを習い、ローディーとしてやってきて、結局バンドに参加することになったんだ。ハズはベーシストとしてはかなりヘビーなプレイをする、そのおかげで私も少しずつ演奏方法を変えていったんだ。

ホークウインドの歴史の中で、サイエンス・フィクションは一貫したテーマです。それはどのようにして音楽に反映しているのでしょうか?

DB:私たちは皆、SFの本をよく読んでいたし、それが曲作りの良いインスピレーションになっていました。私たちが音楽的にやっていることは、音と物語を使って、人々が自分の頭の中で自分の物語をイメージできるようにすることなんです。マイケル・ムアコックは、私たちに多くのアイデアを与えてくれました。The Jewel In The Skull』や『Elric』、『Stormbringer』など。もちろん、(ロバート)カルバートや(グラフィック・アーティストの)バーニー・バブルスとの仕事もね。当時、私たちはノッティング・ヒル・ゲートにいましたが、非常に一生懸命な人たちが集まっていました。みんなで協力して、アルバムのブックレットや素晴らしい詩を制作しました。We touched upon a shelf of rock / Selected by the auto-mind / And left a galaxy of dreams behind…」(『The Awakening』より)。私たちは今もそれを続けています。私たちは伝説を守り続けているのです。

DB:チェリーレッド(レコード)が1977年のテープを出してくれるのをまだ待っているんだ。とてもいい出来なんだよ。実際のところ、その年に発売されていないもので、いずれは発売されると期待している。

とのことですが、この未発表音源に関しての続報はいまだにありません。アトムヘンジのことなので、いずれリリースしてくれそうですね。

By HawkwindDaze

日本のホークウィンド・ファン・サイトの運営。2000年から同サイトの運営を続けています。